NINE DIRTS AND SNOW WHITE FLICKERS[2]
で、さすがに夏至から2カ月経とうかという季節になって、6時過ぎともなるとかなり陽も傾いて、けっこう薄暗くなってくる。
前の日記でも書いたように、すでにCD化して何度も聴いてしまったので、感動が薄くなっちゃっているんじゃないかと心配しながら、鬼束ちひろのライブDVD「NINE DIRTS AND SNOW WHITE FLICKERS」を鑑賞した。
これは「2008年4月26日に、渋谷Bunkamura オーチャードホールにて行われた一夜限りのプレミアムコンサート」(Amazonより)の様子を収めたDVD。彼女にとっては、4年8か月ぶりのコンサートなのだそうだ。多くのファンが、その「衰え」を心配していたにも関わらず、見事な復活を披露し、コンサートの評判は、すこぶるよろしい。自分は今年の春にステレオセットを初級レベルにグレードアップして、彼女のボーカルをしっかり聴いてからのファン。とにかく、彼女の「魂の唄」は、MP3(AACか?)をiPod+イヤフォンで聴いていたのでは、その「魂」の部分がほんのちょっとしか伝わってこない。
問題のDVD、映像作品としての出来だが、前半のパノラマ風の16:9のさらに上下をそれぞれ20%ずつくらい切った映像はさすがにちょっといただけないというか、ワイド感ではなく、上下を隠されているというブラインド感を強く感じさせる。
7曲目以降からは、普通に16:9のみで進むので、あれはいったいなんだったんだ?って感じ。
危惧していた、新鮮さだが、幸いにも杞憂だった。やはり、映像とセットになると、これはまた別物、ということを実感させられた。
ライブの模様は、とにかく単調、これは悪い意味ではなく、歌唱を聴かせるという意味において、積極的に不必要なものを排除しているという、潔さというか、「聴かせる」ために必要な映像とは何か?という目的意識を感じさせる構成になっている。とは言え、ちょっと物足りない感もあって、なんか考え込んじゃったりするが。これは、実は前もって、「音」のみで散々聞いていたおかげで「究極的には、映像はまったく不要」と、安直な結論に飛びつけないから。やはり、目からの情報とセットで、なんというか「臨場感」というか、音だけではわかりようのない歌い手に関する情報が補填されることにより得られる「何か」があることは、なんか結論だけだと「当たり前のこと」だが、確かなんだろう。
そういう観点で観ると、実際はよりよい見せ方があったと思われる点も多いのだが、それでも総合的には、鬼束のボーカルを聴くことが目的であるなら十分の出来だと思う。なにせ、ステージ中央のスポットライトから、決してはみ出ることなく開始から15曲をただただ歌い続けるわけで、これで映像作品を作れと言われても大変だろうなとは思う。バンドも、グラントピアノ1台に、弦楽器(バイオリン?ヴィオラ?が4つとチェロ?が1つ)だけで、さらに前半はほとんどピアノのみというシンプルさ。背景も、ほんの申し訳程度に色がかわったりするくらいで、ほとんどの時間は暗黒のままである。
というわけで、ほとんどの時間、数台の固定カメラが彼女を追うという映像になるしかない。面白かったのは、そのうちの1台はかなりF値が小さく、かつ絞り開放で撮っているらしく、被写界深度がきわめて狭くて、かつ外れると急激にぼけぼけになるカメラがあって、いい感じの効果を出していたことかな。あれって、もしかしたら、撮影後のデジタル処理による映像効果?かとも思ったのだが、同じアングルではすべて同様の映像だったので、おそらくはカメラのセッティングなんだろう。なんせ、目にピントが合っていると、手足はもちろん完全にフニョフニョなのだが、それどころか、鼻やあご付近でさえ、かなりぼけてしまっている感じ。
いやしかし、10曲目「Angelina」あたりからは、もう圧巻としか言いようがなく、曲ごとに鼻がツーンとなるのを覚えしまう。特に個人的にお気に入りの「僕等、バラ色の日々」には、ひとたまりもない。CDの計算しつくされた音もいいが、こうした「生」というか「活きている」歌も、素晴らしい、もちろん、彼女のボーカルだからこそなのだろうが。
あぁ、11月には福岡でもコンサートがあるらしい、この「NINE DIRTS AND SNOW WHITE FLICKERS」的な構成だったら、行きたいなぁ~。
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